すべては、彼らが世界と向き合おうとした時期に起きた出来事だった。ある者は文化大革命が起こるくらいならと、香港に向かって横たわる海峡を泳ぎ渡ることを選んだ。また、ある者は学生の自由の要求を支持し天安門広場へと向かったが、戦車と銃弾によって夢と肉体が削ぎ落とされる光景を目撃することになった。そして、あるものは理想の香港を作るため暴動の渦中に向かっていった…。この若き日の熱狂は、時代の移り変わりとともに深い闇の中に埋もれてしまった。しかし、彼らがいかに抵抗したかという記憶は、香港の歴史に残るかけがえのない瞬間の記録と証言であり、市民運動に参加する若者たちへ今でも多くの示唆を与えている。それぞれの世代の葛藤から、未曽有の危機に直面している香港の人々は、何を受け止め、どのような答えを導き出すのか。そして、私たち自身は…。
2014年、香港の若者たちが未来のために立ち上がった“雨傘運動”の79日間を描いた『乱世備忘 僕らの雨傘運動』でチャン・ジーウン監督は、「二十年後に信念を失っているのが怖いか?」と出演者に問いかけた。その言葉は監督自身への問いかけでもあったが、運動直後のやる瀬ない思いが憂鬱さとなり島を覆い、想像を超える急激な変化の中で、20年を待つまでもなくチャン監督は自らその問いに答える必要に迫られることとなった。雨傘運動を先導していた者たちが逮捕され、市民が沈黙したことで、この島の民主主義や自由への道のりを、より深く再考しなければと本作の制作を思い立つ。一国二制度が踏みにじられた香港社会は混乱を極め、コロナ禍の影響もあり窮地に陥りながらも、香港が内包する不安と希望を描いた衝撃作『十年』のプロデューサーであるアンドリュー・チョイ、若き政治家の葛藤を描いた『地厚天高』を制作したピーター・ヤムと共に、クラウドファンディングによるたくさんの方の応援もあり、2022年ようやく完成を迎えた。
20世紀後半、“文化大革命”(1966~1976年)“六七暴動”(1967年)“天安門事件”(1989年)と世界を震撼させた事件に遭遇し、激動の歴史を乗り越えてきた記憶。そして現代、香港市民の自由が急速に縮小してゆくなかで、時代を超えて自由を守るために闘う姿をドキュメンタリーとフィクションを駆使してより鮮明に描きだす。
この映画は、自由を求めるすべての人々とあなた自身の物語でもある。
香港を拠点に活動する映画監督・脚本家。1987年に香港で生まれ、長編ドキュメンタリー第1作『乱世備忘 僕らの雨傘運動』(2016)は、2014年に起きた大規模な市民占領運動「雨傘運動」を検証した映画である。この作品は香港と中国本土の不安定な関係性を探ったドキュメンタリーであり、山形国際ドキュメンタリー映画祭で小川紳介賞を受賞し、台北金馬奨で最優秀ドキュメンタリー賞にノミネートされた。初期の短編映画『The Aqueous Truth』(2013)と『Being Rain: Representation and Will』(2014)は、いずれも香港の政治状況をテーマに、計画的なプロットとモキュメンタリー方式で切り込んだ作品である。『Blue Island 憂鬱之島』は2作目の長編映画となる。
香港を拠点に活動するインディペンデント映画のプロデューサーであり、映画芸術科学アカデミー(AMPAS)の会員でもある。2017年度山形国際ドキュメンタリー映画祭で小川紳介賞を受賞した『乱世備忘 僕らの雨傘運動』、また、2020年に行われた第53回台北金馬映画祭で最優秀ドキュメンタリー作品賞を受賞した『Lost Course』をプロデュースしている。
デジタルメディアやビデオ・映画制作など、メディア関連の仕事に携わってきたベテラン。第35回香港電影金像奨で最優秀作品賞を受賞した『十年』(2015)や、第71回カンヌ国際映画祭に正式出品された『Ten Years Thailand』(2018)、第20回台北映画賞に選ばれた『Ten Years Taiwan』(2018)、第23回釜山国際映画祭に正式出品された『Ten Years Japan』(2018)のエグゼクティブ・プロデューサーである。また、第57回台北金馬奨で脚色賞を受賞した『夢の向こうに/Beyond the Dream』(2020)のプロデューサーも務めている。
中国本土で生まれたチャンとその恋人(現在の妻)は、政治的かつ文字通りの”潮流”を乗り越え、香港でより自由な生活を手に入れた。どんな天気でもビクトリア・ハーバーで泳ぐことを生涯変わらぬ習慣としており、それは彼が運命に翻弄されることなく粘り強く生きてきたことの証明でもある。
1997年生まれ。香港がイギリスから中国の支配下に移った年、彼の両親はより良い生活を求めて、多くの人とともに不法越境し、その地にやってきた。香港に住む多くの若者がそうであるように、彼もまた、逃げるか戦うかの選択を迫られている。
大陸で生まれ、小学3年生の時に香港に移った。
生まれた土地と自らが故郷と呼ぶ香港の不和を痛感している。
1989年、学生の抗議運動を支援するため北京へと向かった。無傷で香港に戻ったものの、中国民主化運動の惨状を目の当たりにし、その衝撃から完全に立ち直ることはできなかった。
2019年の反送中運動の際に学生代表として活動した。武器(レーザーポインター)の所持および、逮捕への抵抗、公務執行妨害罪で起訴された。
16歳の時、イギリス植民地下で共産主義寄りの文芸誌を配布したことで、投獄された。現在、は引退したビジネスマンだが、若き日の純真な心を悔やんでいる。
暴動罪で逮捕・起訴された社会福祉学科の学生で、有罪が確定すれば懲役10年に処される可能性がある。反骨精神が不安に勝るか否か、獄中で葛藤し解決しなければならないだろう。